山本KID徳郁

僕はあまりビッグマウスな発言をあまりしない。お調子者で負けず嫌いだから、時に大きな口をきいてしまうこともあるし、つまらない見栄をはってしまうこともある。あとは、妙に凝り性なので、変にゆずれないところもあったりもする。グループの中で自分がリードした方がいい場面では大きく振る舞うこともある。或いは、芸術や表現の分野においては自分に自信を持って大きく振る舞うことも大事だと教わった。ただ、基本的には僕は普段から謙虚に振る舞うようにと思っている。

 

しかし、僕が根っからの謙虚な性格かと言うとそうでもない。謙虚に振舞っていた方が得だと感じていて、敢えてそうしている部分がある。

ビッグマウスはどうしても"出る杭は打たれる"で反感を買いやすい。あまり大きな口ばかりきいていると、期待にそえなかった時にがっかりされてしまう。あるいは、謙虚であることが美徳であるという日本古来の考え方もあるか。

まぁ、そんなことを気にして謙虚に振る舞う方が良いというずるい打算で生きているわけ。そして、この物言いも謙虚な振る舞いというやつのニオイがプンプンしているのだ。

 

話変わって、山本KID徳郁さんが亡くなられた。

僕はあまり格闘技を見ないけど、そんな僕でもすごく印象に残っいる格闘家。山本KID徳郁ビッグマウスだった。

 

僕は格闘技の技術的なことはあまりわからない。派手な動きやKOシーンを見てオーってなる程度なので、格闘家としての彼を評することはできない。

ただ、山本KID徳郁はとてつもなく魅力的な人間だったと思っている。格闘技のことをよく知らない僕にとって山本KID徳郁はその試合ぶりよりも、自分のことを「格闘技の神の子」と自負するほどのビッグマウスで印象に残っている。

 

先に書いたように僕はビッグマウスな発言をできるだけ避けるようにしている。だからこそなのか、僕は自分、そして謙虚は美徳というステレオタイプな日本人と反対の道を行く山本KID徳郁のキャラクターに強く惹かれていたのだ。最初は「神の子」発言を聞いて、なんか痛いやつだなとか思っていたが、その発言が大袈裟とも言えないくらいの戦いぶりや一貫した姿勢を見てるうちに魅力を感じていた。

山本KID徳郁さんが実際にどのような人物だったのかは知らないが、ビッグマウスな発言をすることでかかってくるプレッシャーはたいへんなものであったと思うし、それをはねのけて戦い続けていたのは本当にすごいことだと思う。

鍛え上げた自分の強さに自信を持っていたからこそのビッグマウスだったに違いない。一方でもしかしたらビッグマウスな振る舞いで自分にプレッシャーをかけて追い込んでいたのかもしれない。或いは、エンターテイメントとしてファンを盛り上げるためにビッグマウスなキャラクターを演じていたのかもしれない。

いずれにせよ、自分が持っていないモノを持っている男、自分にできないことをできる男として、自分とは縁遠い分野の人間ではあるけど本当にカッコいいと思える人間だったなぁと思う。

本当にお疲れ様でした!

 

 

 

日本代表の決勝トーナメント進出に寄せて

ワールドカップ2018 グループリーグ最終戦ポーランド戦で日本は0-1で負けてしまいましたが、フェアプレーポイントでセネガルを上回り決勝トーナメント進出を決めました!

 

前評判では厳しいと思われていたグループリーグ突破を決めたのだから、諸手を挙げて祝福したいところですが、日本のポーランド戦の終盤の戦略が物議を呼んでますね、、、

 

簡単に状況をおさらいすると、

日本とセネガルが試合開始前の時点では勝ち点得失点差などで並んでいる状況でした。同時刻キックオフの日本対ポーランドセネガル対コロンビアの結果、日本が決勝トーナメントが決勝トーナメント進出するための条件は、

勝つか引き分ければ無条件で進出

日本が負けた場合は、

セネガルが勝てば日本は決トナ進出、引き分けた場合は敗退、セネガルが負けた場合は、セネガルを得失点差やフェアプレーポイント上回れば決トナ進出

ということでした。

 

そんな状況で、同時刻キックオフした2試合。前半はどちらもスコアレスドローで経過。このまま引き分けで終われば、、、という状況でしたが、59分に日本が先制点を取られてしまいます。その時点でセネガル戦は0-0のまま、このまま試合が終わると日本はグループリーグ敗退が決まってしまうので、点を取りにいかなければならない状況になりました。しかし、点をとれないまま時間が経過、そうこうするうちにもう一方の試合、74分にコロンビアが先制。

この時点でこのまま試合が終われば、日本とセネガルは勝ち点、得失点差、総得点、当該チーム同士の対戦での勝ち点、当該チーム同士の対戦での得失点差、当該チーム同士の対戦での得点で全てイーブン、フェアプレーポイントで日本が上回り決勝トーナメントに進出できるという状況になったわけです。

 

それを受けて、83分に西野監督は長谷部を投入。ここから日本は完全に消極的な作戦を選択しました。リスクを冒さず、最終ライン付近でのパス回しで時間を消費したのです。それに対してポーランド側も積極的なチェイシングはせず、そのまま試合は終了。その数分後、セネガル対コロンビアが0-1のまま終了し、その時点でフェアプレーポイントの差で日本がセネガルを上回り決勝トーナメント進出を決めたわけです。

 

このことに対して、日本のこのまま負けでOK、リスクを冒さずパスを回して試合終了を待つという作戦を非難する声が国外、国内問わず多数あがっているようですが、僕は全然非難されるようなことではないと考えています。

日本対ポーランドの終盤、目の前で起こっていることはただのパス回しであり、それは消極的でつまらない光景でした。しかし、その実は決して単なる消極的な選択だけではなかったと思います。

 

日本が1点差のまま試合を終わらせることを狙ってプレーをする一方で、後のないセネガルが攻勢に出て、もし同点に追いついていたら、西野監督、日本代表はセネガルが負けることを信じて、自分たちの試合を負けのまま終わらすという消極的な選択をするも、あてが外れてグループリーグ敗退という、ワールドカップ史上にも残るような無様な敗退として、きっととてつもない非難を浴びたことでしょう。西野監督、日本代表はそうなる可能性、リスクも踏まえて、0-1の負けのまま試合を終わらすという作戦を選んだわけです。この作戦はポーランド戦という1試合だけで見たら、消極的なプレーに写りますが、グループリーグ全体の順位争いという大局で見たら非常に大胆で積極的な選択だったと思います。日本選手はノーリスクで悠々とパスを回しているように見えたかもしれませんが、西野監督はきっと胃に穴が開くくらいひりついた気持ちで勝負を見ていたんじゃないかと思うわけです。

 

そもそも、仮に日本が同点においついて自力で決勝トーナメント進出を決めるために攻勢に転じたとして、ポーランド相手に点を取ることができたのでしょうか?そんなことはやってみないことにはわかりませんが、事実としてあるのは、日本としては引き分けでも決勝トーナメント進出ができるという条件の中で戦って後半38分の時点で0-1で負けていたということのみです。点を取ろうと攻勢に出て、10分程度で同点に追いつくというプランを現実的に立てて実行に移せるくらいのレベルなら、最初っから苦戦しないだろという話でもあります、、、そして、もし攻勢に出たら、カウンターなどで失点をするリスクも増える訳で、試合の終盤で運動量が落ちてきていたとはいえ格上のポーランド相手に対してとる作戦としてはリスクが高かったかもしれません。

 

決勝トーナメントの最終戦前、西野監督、日本代表は最終局面での得失点差やフェアプレーポイント差など、いろいろな場面をシミュレートして試合に臨んだのだと思います。その中で、残り10分を切ってこのまま両方の試合とも点数が動かなければ決勝トーナメント進出が決まるという状況。日本が最終ラインでパスを回してしまえば、勝っているポーランドはそこまで積極的にチェイスしてこないだろうし、日本が0-1で試合を終わらすことは容易と判断できます。その一方でセネガル対コロンビアはというと。セネガルは同点に追いつかないとこのまま敗退が決まるので、意地でも点を取りにいきますが、コロンビア相手に残り時間で点を取れる可能性はどれほどだったのでしょう?(ちなみに、コロンビアは引き分けでも決勝トーナメント進出ではあるので、なにがなんでも点を取られてはいけないという状況ではないとも言えましたが、、、)

非常に難しい判断ではありますが、これらの可能性を総合的にみて残り約10分リスクを冒さずこのまま負けのまま試合を終わらすのが、決勝トーナメント進出のためには最良の手と判断したということでしょう。

 

そして、その賭けに勝って日本は決勝トーナメントに進出!非常に勇気のいる決断だったと思いますし、その賭けに勝ったからには褒めるべきだと思っています。

 

そもそも、勝負事、ギャンブルの世界では、大局を見て目先の勝負を敢えて捨てるという判断をすることはよくあることだと思います。そういうときに、完全に勝ちの目を捨ててベタオリしてしまうか、それとも自分の勝ちの目を残しながらリスクを抑えつつ戦うかという二択は常に難しいものですが、、、ただ、そういうケースにおいて、中途半端に欲をかいてしまって失敗することは少なくないと思います。

ポーランド戦の日本代表の場合も、このままのスコアで行けばギリギリ突破できるけど、相手(セネガル)次第になってしまうから、あわよくば自力での突破のために得点を狙いつつ、でもリスクは極力抑えて、みたいな中途半端なことをするのが一番危なかったのではないかなと思います。やるなら、意地でも得点して自力で予選突破を決めるつもりでリスクを負って攻勢に出るか、あるいはベタオリ。日本は目先の勝負のベタオリを選択して、大局で勝利したのです。素晴らしいじゃないですか。

 

もちろん、終盤つまらない試合を見せられたことに対するブーイングは理解できますが、その裏で確固たる覚悟を持った決断があっただろうことは評価すべきだと思います。ベタオリだって、状況によっては立派な作戦なのです。

ただ、それでも納得いかないというのなら、その不満はルールの中で消極的な作戦をとった日本だけではなく、ルールを作ったFIFAにも向けられるべきだと思います。

 

ちなみに、僕はポーランド戦のラスト15分くらい(セネガル対コロンビアが0-1になって以降)の観戦中、すごく興奮しておりました。サッカーの試合としてはつまらないけど、セネガルと日本どっちが決勝トーナメントに進めるかという勝負、心理的な駆け引きを楽しんでた感じですね。西野監督、勝負師だなぁ!やるなぁ!とただただ感心して見ていました。結局のところ、サッカー以上にギャンブルや心理戦の類いが好きということなんでしょうかね、、

 

まぁ、そんなこんなで決勝トーナメント進出を決めた日本代表!ベタオリしての消極的プレーで非難を受けてしまいましたが、決勝トーナメントに進むために選択した決断と胸をはって欲しいです。そして、ベルギー戦で今回の批判を振り払うような熱い試合を見せてもらえたら嬉しいです。

 

ちなみに、そもそもスタメンを大きく変えたのは正解だったのかとか、後半38分に至るまでの戦術や選手個人のプレーがどうだったのかとかは、無視して単純に後半38分から消極プレーを選択したことについてのみの意見です。

あと、僕がその選択を比較的高評価をしてるのは、消極プレーをして批判を受けるリスクやポーランド相手に点を取りに行くことで生じるリスク、さらにはセネガルがコロンビア相手に残り約10分で同点に追いつく可能性など、全てを考慮した上で、決勝トーナメント進出という目標のために敢えてポーランドベタオリというギャンブルを選択をしたのだろうという想定に基づいています。もし、点取られてテンパって思考停止してしまい、"攻めに出てカウンターでもう1点取られたらヤバイし、このままいけば突破できるし、パス回して時間稼げばいいや!"という短絡的な考えに基づいてとった選択だとしたら、あり得ない。そうだったらもちろん全力で非難します。

 

 

 

DA PUMPのU.S.A.の歌詞を考察する 完全版

巷で話題のDA PUMPのU.S.A.。youtubeの動画が公開されて話題になり始めて早1ヶ月強。

ついに楽曲の正式リリースを迎え、テレビ露出も増えて、わかりやすいくらいにブームを巻き起こしていますね。

 

僕も YouTubeを見て、衝撃を受け完全にやられてしまったのですが、世間での受け止められ方と自分の感じ方にギャップがあったので、約1ヶ月前に自分なりにU.S.A.の歌詞を考察した記事を書かせていただきました。

曲のヒットの影響もあり、その記事は結構多くの人に読んでいただけたようで、共感の反応も得られました。そんな中で、最近似たような考察記事をネットで見かけるようになったので、前回触れなかった曲の後半部分の歌詞についても改めて他のサイトより深く考察しようと思います。

 

一部の内容は前回記事のコピペ、加筆修正だったりしますが、悪しからず。

 

まず、このU.S.A.という曲は、数十年前アメリカの文化に憧れを抱いていた日本人のガキンチョが、成長してアメリカの文化に対して対等に挑戦し、さらには挑発していく物語だということを先に述べておきます。

 

それを踏まえて、歌詞を順に解説していきましょう。

 

U.S.A. オールドムービー観たシネマ
U.S.A. リーゼントヘア真似した
U.S.A. FM聴いてた渚
U.S.A. リズムが衝撃だった

 

これは主人公の少年がアメリカに対し憧れを抱くきっかけとなったファーストコンタクトを歌っています。数十年前のネットもない時代。海外の情報は限られた媒体でしか入ってこない時代に映画で観るアメリカに憧れ、ムービースターの髪型を真似したり、アメリカの音楽を聴くためにラジオでFMを聴いたりしながら、それに衝撃を受けのめり込んでいったわけです。

 

数十年でリレーションシップ
だいぶ変化したようだ
だけれど僕らは地球人
同じふねの旅人さ

 

ここで言うリレーションシップというのは、漠然とした日米関係や日本とアメリカの立場だけではなく、主人公のアメリカの文化に対する意識やスタンスの変化であるということが重要です。"変化したようだ"という表現は第三者的な立場から見た表現に思われますが、自分とアメリカの関係性を客観的に評していると捉えた方がしっくりきます。つまり、数十年前映画やFMラジオを聴いて、まだ見ぬアメリカに憧れて真似をしていただけの少年が成長して、自分の世界を広げアメリカの文化と対等にわたりあえるようになったということです。

 

そして、そこからの!

 

Come on,baby アメリ
ドリームの見方をinspired
Come on,baby アメリ
交差するルーツ タイムズスクエア
Come on,baby アメリ
憧れてたティーンネイジャーが
Come on,baby アメリ
競合してく ジパング

 

この部分は、アメリカに憧れていたティーンエイジャーがシンガー、ダンサー(DA PUMP)としてアメリカのエンターテイメントと競合できるまで成長したぜ!日本にルーツを持ちながら戦っているぜ!という宣言に他なりません。そして、ここで言うBabyというのは、この曲を聴いている僕たちリスナーに対する呼びかけなどではありません。あくまでもアメリカ!USAに対する問いかけなのです!つまり、このストーリーの主人公は日本でエンターテイナーとして成長した今、アメリカに対して親しみを込めて「ベイビー!もっと来いよ。アメリカ!」と、呼びかけ、挑発しているのです。「お前に憧れていただけのガキだった俺は今ここまで成長したぜ!お前ももっと来いよ、俺にもっともっと刺激、インスピレーションをくれよ!!」

 

最高じゃないか!

 

僕も小学生くらいの頃から、洋画の中で観たアメリカに強い憧れを持っていました。僕の場合、Back to the FutureやE.T.がきっかけだったと思います。その頃の自分の意識って、海の遠く向こうにこんな世界があるんだっていう漠然とした理解と少し現実味のない憧れだったと思います。僕の場合はその後、興味の中心はブラックミュージック、ヒップホップカルチャー、やポップカルチャーに移っていきましたが、常にアメリカは憧れの対象でした。そして、いつしか僕も自分で絵を描いたり、デザインをしたり、ただの憧れてるだけのガキンチョから自分なりに表現をするアマちゃんになりました。そして、そんな今でもアメリカのカルチャーは僕にとって常に刺激的なものです。

 

僕はアマチュア、趣味で絵を描いたりしているだけだけど、何もわからないでただ真似事をしていただけの頃よりは自分なりの表現をできるようになった部分はあると思っています。この曲を聴いていて僕は自分のことを重ね合わせ、胸が熱くなるものを感じたのです。

 

ここまでが、前回の記事でも述べたところになります。ここから曲の後半部分についても考察していきましょう。

 

U.S.A.  ツイスト踊ったフロア
U.S.A.  ミラーボールに恋した
U.S.A.  仲間の中古のオープンカー
U.S.A.  あのこは髪なびかせた

 

さぁ、ここから主人公は成長を見せつけてきます!最初のAメロ部分が10代前半頃のアメリカ文化とのファーストコンタクトからのまだ見ぬ憧れだったのに対して、ここでは10代後半から20歳前後になり、より能動的にアメリカの文化と触れ合う主人公の姿が描かれています。映画のスクリーンに映る世界、FMラジオから流れる音楽。メディアを通しての見聞きする体験でしかなかったのに対して、ミラーボールの回るクラブでダンスをしたり、決して安くはない中古のアメ車を乗り回して仲間と遊ぶ姿から主人公の成長を感じるわけです。

 

そして、「あの子は髪なびかせた」というフレーズ。僕がこの曲の歌詞で一番好きなフレーズです。最初のうちはここを聴いたとき、すごくいいなぁと感じると共に違和感も感じており、その理由がいまいちわからなかったのですが、聴き返しているうちに理由がわかってきたので説明していきます。

まず、この歌詞の意味を考察する上での前提として詩の基本構造を理解しないといけません。

 

U.S.A. ツイスト踊ったフロア
U.S.A. ミラーボールに恋した
U.S.A. 仲間の中古のオープンカー
U.S.A. あのこは髪なびかせた

 

この部分、前半と後半が対になっていますね。フロアで回るミラーボールとオープンカーに乗るあの子。ここが対の関係になっているので、主人公が"あの子"に恋していることが、言わずとも伝わってくるのです。

そして、これまで主人公が憧れたり、恋してきたものは、映画で見たスター、ラジオから流れる洋楽、クラブやそこで回るミラーボールやアメ車のオープンカーだったのに対して、"あの子"というのは日本人の女の子なのです。仲間のひとりなのだから、"あの子"も主人公と一緒で洋楽やダンス、アメリカの文化が好きなのだと想像してしまいますが、"あの子"はアメリカ人ではなく日本人。主人公は同じ日本人の女の子に恋をしたのです。つまり、ここで憧れのアメリカの世界と主人公の周囲の現実世界が実体験としてオーバーラップする訳です!

 

僕は10歳くらいの頃にヒップホップを聴くようになりました。そして、そこから何年か経って初めてクラブに遊びに行った時は、憧れていた現場に触れ興奮したのを覚えています。また、先輩や友達とイベントを始めたときの興奮も、初めてクラブでライブペインティングのパフォーマンスをしたときの緊張も忘れられない思い出です。そして、そんな中で同じ趣味趣向を分かちあえる仲間ができて、その中の1人の女の子に恋をする。自分にもそんなようなことがあったでしょうか・・・。まさに青春ですね。

 

パシフィック・オーシャン ひとっ飛び
ハートはいつもファーストクラス
夢というグラス交わし
Love and peace 誓うのさ

ここで主人公は初めてアメリカの地に実際に足を踏み入れます。それまではメディアを通して見聞きしたもの、アメリカのものを模して作られたクラブ、輸入された中古のオープンカーだったのが、本物のアメリカの文化を体感していくわけです。アメリカに初めて行くとき、最初はなけなしのお金の貧乏旅行かもしれません。実際エコノミークラスで10時間以上かかるけど、気持ちは高ぶっていて時間はあっという間に感じられるし、気分はファーストクラスさっていう話です。

 

そして、この後の部分は解釈が難しいのですが、まずグラスを交わす相手が誰なのかというのが問題です。その答えは、おそらくアメリカという解釈で良いのではないかと考えています。主人公がアメリカンドリームを夢見て挑戦する際に、郷に入っては郷に従えで、アメリカに対してアメリカのスローガンであるところのラブ&ピースを誓うということでしょうか。

 

そして、

C'mon, baby アメリ

サクセスの味方 organizer
C'mon, baby アメリ
ニューウェーブ寄せる ウェストコースト
C'mon, baby アメリ
どっちかの夜は昼間
C'mon, baby アメリ
ユナイテッドする 朝焼け

 

アメリカンドリームという言葉があるように、アメリカという国は誰にもチャンスが均等にあり、努力が報われやすい土壌、サクセスに味方してくれる国と言えます。

そして、次の

どっちかの夜は昼間

ユナイテッドする朝焼け

という部分は世間では意味がよくわかんないけど、印象的ということで面白がられているフレーズですね。

ここも解釈が難しいのですが、まず日本とアメリカ、どっちかが夜なら、もう一方は昼間になります。そして、時差からすると日本で朝焼けが見えるときにアメリカの場所によっては同じ太陽を夕焼けとして見ることができる訳ですね。朝焼けと夕焼けとで日本とアメリカとがユナイテッド結合するのです。ある意味、阿倍仲麻呂が中国で月を見て、故郷を思って詠んだ"天の原 ふりさけ見れば 春日なる  三笠の山に 出でし月かも"にも通じる表現と言えます。

つまり、映画のスクリーンの中だけで見る夢のようなアメリカから日本と同じ地球上に現実に存在するアメリカという、この曲を通してのテーマ"子供の頃、遠い存在であり、憧れの対象だったアメリカは、僕が成長することで現実的なライバルとしてのアメリカに変わった"という物語を象徴している表現なのです。

 

いかがだったでしょうか?

 

自分の思い出と重ね合わせ、強引に解釈している部分もあるかと思いますが、大筋としては

日本に生まれてアメリカの文化に憧れていた少年が成長して、日本でアメリカのカルチャーと競い合えるようなアーティストになったぜ!これからももっと俺に刺激をくれよ、アメリカ!

という、アメリカに対する愛と感謝、そしてライバル宣言をも含んだ熱い熱い歌詞だということです。

 

なんだか耳についてやみつきになるけど、歌詞は意味不明でダサくて面白いとか言われているようですが、意味不明なことはないです!この歌詞がダサかっこいいとか、表面上だけを捉えて語られてしまうのは、残念で仕方ないです。

めちゃくちゃカッコイイ物語がUSAの歌詞にはあるのです!!

(個人的な見解ですが、、、)

フリースタイルダンジョン 般若2連敗について

先日フリースタイルダンジョンについての記事を書いた当日、ちょうどLick-Gが般若を倒し全クリをしました。その日から5週間、早くも次の全クリが出るとは思いもよらなかったです。まずはニガリの全クリに最大のリスペクト、そして面白すぎる試合を見せてくれたことに感謝!!

 

そんなわけで般若の敗北が続いてしまったのですが、、、単に般若が負けたということ以上に、僕としてはこの2戦で般若の限界が完全に露呈してしまった気がして非常にショックでした。もちろんLick-gとニガリの出来が素晴らしかったのもありますが。

 

そんな衝撃的な敗北を受けて、今回はフリースタイルダンジョンラスボス 般若の強さとその限界 について考察していきたいと思います。

 

そもそもフリースタイルバトルに求められる能力というのは非常に多岐に渡りますが、僕が思いつくものをざっと羅列すると、、、

 

フロー

リズムキープ

ボキャブラリー

声色

聞き取りやすさ

声色の使い分け

即興性

論理性

サンプリング力

バイブス

ユーモア

毒舌

ステージでの立ち振る舞い

ラッパーとしてのプロップス

流れを作る能力

相手に対応する能力

 

これらの能力に加えて、場の空気や勢い、バトル以外でのお互いの関係性や因縁(例えば、ここ数年の晋平太と漢など)、ビートとの相性、さらにはその日の調子などが勝敗に影響しうる外的要因として挙げられるでしょう。

 

これらの中で、僕はバトルで勝つ上では流れを作り出す能力と相手に対応する能力が最も大事だと考えています。

おそらく現在、フリースタイルバトル日本一と思われるR指定の最強たる理由は、フリースタイルバトルに求められる全ての能力を極めてハイレベルにバランスよく備えていることに他なりません。ただ、R指定と言えど負けることもあります。もちろん、上記の能力を仮に数値化したとして全ての能力がR指定を下回っているラッパーではまず勝つのは困難でしょう。しかし、ワンポイントでも優位な点を持っているラッパーであれば、流れの作り方や相手の作った流れに対する対応の仕方次第ではR指定にも勝つことができるだろうというわけです。

 

わかりやすい例としては、韻を踏むスキルは低いのにUMBを制したNAIKA MCがいますね。ナイカには自分が韻を踏まないことをユーモアたっぷりに、時に自虐的にさらけ出しながら、だらかどうした?韻を踏むだけがラップじゃないぞというスタンスを持ち前の声量でもって論理的に述べていく強さがあります。ナイカが他のラッパーの韻を踏めないというディスにのっかって、韻踏み勝負をしていたら、ナイカはここまで強いラッパーにはなり得ないわけです。相手のディスをユーモアを交えていなして、大声で論理的なアンサーを決めどころでかますのがナイカの鉄板の勝ち方だと思います。

 

ここらへんのことを踏まえてフリースタイルダンジョンでの般若のバトルを見返すと、、、

 

フリースタイルダンジョンのラスボス 般若の強さは、圧倒的なラッパーとしての実績、プロップスとそれをラップの中でプレゼンする力にあったと思います。さらには、自分の話を組み立てながら、勝負所と見るやバイブスを一段階上げて勝負を決めにいったりと、駆け引きの旨さも光っていました。それ以外の部分でも声の聞き取りやすさ、声量、声色の使い方など、ラッパーとしての基礎体力的な能力は抜群に高いですし、ステージでの力強い立ち振る舞いには圧倒的な存在感があります。

ただその一方で、ライミングやフローの部分では正直スキルフルとは言えないでしょう。般若のフリースタイルはケツの数文字をしっかり踏んでいたりして、聴き心地の良さはありますが、5文字以上で踏んだり、韻だけで会場をわかせるようなことはほとんどないと思います。フローについても、ラガフローを使ったり、相手のフローをサンプリングしたりすることはありますが、鎮座dopenessやT-pablowのように即興でオリジナリティ溢れるフローを生み出すほどのスキルはありません。(決して般若のフリースタイルにはライミングやフローがないと言っているわけではなく、現在のフリースタイルシーンの中で頭一つ飛び抜けるほどのスキルではないということです)

 

フリースタイルダンジョンのラスボスとして約 7年ぶりにバトルの場に帰ってきた般若は自身のラッパーとしての生き様やプロップスと、それを説得力のある言葉に変えていくことで強さを見せつけましたが、ライミングやフローにおいては進化したフリースタイルの流れについていけていなかったのです。

 

しかし、先述したフリースタイルバトルに求められる能力のうち、般若がバトルから離れていた約7年間のうちに一番レベルの底上げがされたのが、韻とフローだと思います。そして、今回連続で般若を倒したLick-gとニガリはその2つのポイントでしっかり優位性を示し、それをそのまま勝利に繋げたと言えます。さらに言うと、この2人が般若に敗北した他のチャレンジャー(焚巻、崇勲、じょう、NAIKA MC、PEKO)と違ったのは、般若をリスペクトしつつもフリースタイルなら俺の方が上だというスタンスをしっかり持って気後れせず挑んでいたことだと思います。

 

思い返すと、焚巻、崇勲、じょう、NAIKA MC、PEKOは、フリースタイルダンジョンのラスボス戦で日本のヒップホップシーンで絶大なプロップスを誇る"ラッパーとしての般若"に挑んでいたと感じます。つまり、般若が一番強さを発揮できる土俵に自ら足を踏み入れて、負けてしまったわけです。それに対してLick-gとニガリは、数年間のブランクのせいでフリースタイルバトルの技術の進歩にやや遅れをとってしまった(それでもまだまだトップクラスの強さなのですが、)"フリースタイルバトラーとしての般若"に挑んでいました。

 

特にLick-gが巧みだったのは、このバトルはプロップスや実績の競い合いじゃなくて、音楽としてのフリースタイルラップでどれだけ沸かせられるかの勝負だということを明確に提示したことです。

 

般若

これ本物 リアル

気合いと言葉と生き様だ

後は何だよ? 言ってみな

Lick-g

気合いと言葉と生き様じゃなくて

それを音楽に乗せるのが俺らの役割じゃないの?

 

とか、

 

Lick-g

つまり俺の言葉は こいつよりもリズム感が良いって事だけは間違いない

このラップだけで どこまでアゲれるかの勝負

お前のラップよりもドープだぜって そういう事だぜ

 

とか。

 

般若がラッパーとしての生き様という自分の得意な話題に持っていこうとしても、それを音楽に乗せるのがラッパーの役割だし、それに関しては俺の方が上手で、客をアゲてるだろ、ドープだろ!って返す。しかも言うだけではなく、言葉の通りスキルで圧倒していました。

 

そうは言ってもこんな勝ち方、誰にでもできるわけではないでしょう。しかし、ツワモノ揃いの二代目モンスターを抜いて般若まで辿り着いた実力の持ち主にとっては決して難しいことでもないのかもしれません。特に、Lick-gやニガリのような若手はおそらく般若に対する尊敬はあれど畏怖することはなく、アラサー以上のラッパーに比べると臆することなく挑めている気がします。

 

現在フリースタイルダンジョンの放送は初代モンスターと二代目モンスターのバトルに突入しました。般若にとってはバトルのない休息回ということになりますが、次の通常回以降どんなバトルを見せてくれるのか?あるいは番組としてなんらかのテコ入れがあるのか?とても楽しみです。

DA PUMPのUSAの歌詞について

DA PUMPの新曲が話題になってますね。

USA!世間ではダサかっこいいとか言われたり、やたら中毒性の高いフレーズが注目されていたりするようですが、僕は完全に歌詞にやられてしまったので、その点に注目して内容を考察しながら、USAがいかにイケてる曲なのかを述べていこうと思います。

 

まず、このUSAという曲は、数十年前アメリカの文化に憧れを抱いていた日本人のガキンチョが、成長してアメリカの文化に対して対等に挑戦し、さらには挑発していく物語だということを先に述べておきたい。

 

それを踏まえて、歌詞を順に解説していこう。

 

U.S.A. オールドムービー観たシネマ
U.S.A. リーゼントヘア真似した
U.S.A. FM聴いてた渚
U.S.A. リズムが衝撃だった

 

これは主人公の少年がアメリカに対し憧れを抱くきっかけとなったファーストコンタクトを歌っている。数十年前のネットもない時代。海外の情報は限られた媒体でしか入ってこない時代に映画で観るアメリカに憧れ、ムービースターの髪型を真似したり、アメリカの音楽を聴くためにラジオでFMを聴いたりしながら、それに衝撃を受けのめり込んでいったのだ。

 

数十年でリレーションシップ
だいぶ変化したようだ
だけれど僕らは地球人
同じふねの旅人さ

 

ここで言うリレーションシップというのは漠然とした日米関係や日本とアメリカの立場だけではなく、主人公のアメリカの文化に対する意識の変化であるということが重要である。つまり、数十年前映画やFMラジオを聴いてアメリカに憧れて真似をしていただけの少年が成長して、自分の世界を広げアメリカの文化と対等にわたりあえるようになったということだ。

 

そして、そこからの!

 

Come on,baby アメリカ
ドリームの見方をinspired
Come on,baby アメリカ
交差するルーツ タイムズスクエア
Come on,baby アメリカ
憧れてたティーンネイジャーが
Come on,baby アメリカ
競合してく ジパング

 

この部分は、アメリカに憧れていたティーンエイジャーがシンガー、ダンサー(DA PUMP)としてアメリカのエンターテイメントと競合できるまで成長したぜ!日本にルーツを持ちながら戦っているぜ!という宣言だ。そして、ここで言うBabyというのは、リスナーに対する呼びかけなどではなく、あくまでもアメリカ、USAに対する問いかけなのだ!つまり、このストーリーの主人公は日本でエンターテイナーとして成長した今、アメリカに対して親しみを込めて「ベイビー!もっと来いよ。アメリカ!」と、呼びかけ、挑発しているのだ。「お前に憧れていただけのガキだった俺は今ここまで成長したぜ!お前ももっと来いよ、俺にもっともっと刺激、インスピレーションをくれよ!!」

 

最高じゃないか。

 

僕も小学生くらいの頃から、洋画の中で観たアメリカに強い憧れを持っていた。僕の場合、Back to the FutureやE.T.がきっかけだったと思う。その後、僕の興味の中心はヒップホップカルチャーやポップカルチャーに移っていったが、常にアメリカは憧れの対象であった。そして、いつしか僕も自分で絵を描いたり、デザインをしたり、ただの憧れてるだけのガキンチョから自分なりに表現をするアマちゃんになった。そして、そんな今でもアメリカのカルチャーは僕にとって常に刺激的である。

 

僕はアマチュア、趣味で絵を描いたりしているだけだけど、何もわからないでただ真似事をしていただけの頃よりは自分なりの表現をできるようになった部分はあると思っている。この曲を聴いていて僕は自分のことを重ね合わせ、胸が熱くなるものを感じたのだ。

 

歌詞はまだまだ続くのだが、おおまかなストーリーは述べたので後半は割愛する。後半部分も前述したストーリーを踏まえて聴くとグッとくるものがあるはずだ。

 

なんだか耳についてやみつきになるけど、歌詞は意味不明でダサくて面白いとか言われているようだが、意味不明なことはないぞ!

めちゃくちゃカッコイイ物語がUSAの歌詞にはあるぞ!

(個人的な見解ですが、、、)

フリースタイルダンジョンについて 其の一

フリースタイルダンジョンが2015年9月にスタートして早2年半が経つということで、僕が感じていることをつらつらと書いておこうと思う。

読んでくれる人がいるかはわからないが、とりあえずヒップホップにある程度興味があってフリースタイルダンジョンを見たことがある人を対象にして書いていこう。そもそもフリースタイルって?みたいな説明は割愛させていただく。

 

いろいろ書きたいことがあるので何回かにわけて書いていくのだが、初回はフリースタイルダンジョンという番組が日本のヒップホップシーンに与えた影響を考えていきたい。

このことを考えるにはまず2015年9月時点の日本のヒップホップシーンがどうあったのかを語らなくてはならない。日本のヒップホップシーンは80年代前半に産声を上げた。83年生まれである筆者は当時のシーンを実体験として知らないわけだが、一部の好事家達がブレイクダンス、ラップ、DJ、グラフィティ 所謂ヒップホップの4大要素をフィジカル面におけるカタチから取り入れたものであったと認識している。そして、それは当然のことながら当時の日本の音楽シーン、エンターテイメントシーン、文化においては、メジャーなムーブメントとは言えないものであったと思う。

では、アンダーグラウンドな文化であった日本のヒップホップが、オーバーグラウンドに浮上しかけたタイミングというのはどこにあるのか?私が認識しているものを挙げていくと、まずひとつめは、EAST END × YURIや小沢健二スチャダラパーが登場した1995年前後のタイミングだろう。このとき、お茶の間レベルにラップという音楽手法がおそらく初めて届けられたと僕は認識している。そして、ふたつめは1999年から2000年にかけてのDragona AshとZeebraのGreatful Daysからの流れだろうか。この2つめの流れの勢いは強く、お茶の間にヒップホップってこんな感じという浅い一定の認識を植え付けることに成功した。つまり、ラッパーという人種はダボダボの服を着て、Yo!Yo!いいながらラップをしてるちょっと悪そうな奴という安直なイメージだ。その後、Kick the can crewRip Slymeがお茶の間に届くようなラップをリリースしたり、ポップアーティストがラップを手法として取り入れヒット曲をリリースしたりと、以降日本の音楽シーンにヒップホップという音楽が一定の地位を確立することができたと言える。

しかし、そこからの10年間以上日本のヒップホップシーンは頭打ちになってしまったと言わざるを得ないだろう。頭打ちという言葉を使ったのは、日本の音楽シーン、エンターテイメントシーンにおいてヒップホップシーンの一任者の地位が大きくは向上しなかったという意味だ。しかし、シーンの発展が止まっていたかというと決してそんなことはなく、この期間は文化としての裾野が大きく広がった時期であると言えるだろう。お茶の間レベル、メジャーシーンには出てこないまでも、地方で活動するラッパーがたくさん出てきて、ヒップホップ好きの耳にはしっかりと届いてくるようになった。そして、この時期というのは今回の主題であるフリースタイルダンジョンの誕生に繋がるUMBなどのフリースタイルバトルの大会が拡大していった時期でもある。しかし、それもヒップホップ好きの中だけでの話であった。

そのような10数年間の流れから日本のヒップホップシーンを強く勢いづけるキッカケになったのはBSスカパー!のBAZOOKAの番組内でスタートした高校生RAP選手権であろう。この企画は高校生のフリースタイルバトルを青春の風味で味付けして、地上波ではないとは言えテレビプログラムとして成立させたという点で大きな意味があったと言える。実情は知らないが、きっと高校生RAP選手権の成功がフリースタイルダンジョンに直接的な繋がったと思われる。

 

日本のヒップホップカルチャーが2000年前後にある程度の一般認知を確立して以降、文化としての裾野の拡大や地域性の出現や多様化を育む一方で誰一人としてZeebraの起こした瞬間風速を超えられないでいた中で、フリースタイルダンジョンの作り出した流れはひさびさに吹いた大きな追い風といえる。フリースタイルラップやヒップホップを甘めに味付けしたものが地上波のバラエティで扱われたりすることが増えたし、それにもともなってかラップをする若者もグッと増えたと感じている。そして、その中で今僕が望むのは、2000年前後からZeebraが務めてきた日本のヒップホップシーンの旗頭を取って代わるラッパーの台頭と、おそらくZeebraが持っている日本の音楽、エンターテイメントシーンにおける最高到達点記録の更新である。

それを成し遂げるのは誰なのか?奇しくも本日2018年5月2日放送回Lick-Gが般若を倒し、フリースタイルダンジョン完全制覇を達成した。Lick-Gは今後どう活躍していくのか?非常に楽しみである。

ハリルボジッチ監督の解任によせて

今回の騒動をみていて思ったこと。

 

僕は10代〜20代前半頃はサッカー観戦が好きで日本代表の試合をスタジアムに見に行ったり、スポーツバーに行って大勢で応援したりしていたものです。最近はどういうわけか遠ざかってしまいましたが、今でもそれなりに試合結果は追いかけていたりします。

 

今回のハリルホジッチ監督の解任に関して、解任にいたった経緯が適切だったかどうか、お互いいろいろな言い分があって真相はわからないので、それについてはもういいかなと思うわけです。その一方で、僕が重視したいのはワールドカップ間近に海外から招聘した監督をいろいろと疑惑の残る理由で解任し、監督自身からも協会が非難されてしまったという事実があるということです。たぶん、お互い言い分をぶつけあったところで納得しあっての綺麗な決着は無理だと思うし、最終的には違約金を払えばとりあえず解任は正当であるというところに落ち着いてしまいそうな気がします。しかし、ロシアワールドカップが終わって、次の監督を選ぶ(西野監督続投もあるでしょうが、)際に果たして海外の有力監督は日本代表を、日本サッカー協会を選んでくれるのかということです。少なくとも今回の騒動は絶対にプラスには働かないでしょう、、、「日本サッカー協会はワールドカップ直前に一部の選手からの不満を聞き入れて代表監督を解任した」疑惑をかけられた。こんなのブラックすぎるでしょう。

 

今回の解任が正しかったのかどうかはわかりません。ただ、ロシア大会で日本がいい結果を出したら結果オーライになってしまいそうなのが嫌ですね。今回のことはロシア大会の結果のみならず、サッカー日本代表の将来の監督選びにもマイナスになりかねない。協会幹部の方々にはそこのところをどう考えているのだろう、、